住職より


かたい法話では、ありません。
毎日の生活で感じたことを書かさせていただきます。




大谷幼稚園報恩講のお話 (お歳はいくつ?約38億歳です!)


みなさん、おはようございます。ようこそお参りに来て下さいました。今日は、報恩講といって「ありがとう」と感謝する日です。「ありがとう」と感謝することを教えてくれた方が、「親鸞」さまと言って、ここに絵でお姿が描かれて、お飾りしている方です。今からちょうど850年前に生きた方です。

 みなさん、みなさんが大切にしている事は、何でしょうか?大切にしている事も、歳と共に変わってきます。みなさんなら、家族、お父さん、おかあさんかな?お金、ゲーム、携帯電話、健康など、これから色々大切なものが、増えてくることと思います。

 親鸞さまは、「生まれた意義と、生きる喜びを見つけよう!」と教えてくれています。どうか、大きくなっても、何のために生まれてきたのか分からなくなった時には、仏様のお話を、聞いて欲しいと思います。仏様の教えは、生きていく上で、最も大切な事なのです。忘れないで下さいね!

 皆さんは、お歳はいくつになりましたか?3歳、4歳、5歳、多分この歳の方がほとんどですね。お父さん、お母さんの歳は聞かないよ!色々な年齢の方がおられるから。でも、今日、お寺さんは、皆さんのお歳は、3歳、4歳、5歳プラス38億歳なんですよと言う事を覚えておいて欲しいと思います。数字、1.2.3.4.5.6.7.8.9ここまでが一ケタです。10から99まで二桁、100で三桁、1000で四桁、万で五桁、10万で六桁、100万で七桁、1000万で八けた、億で九桁。莫大な長さ、年月ですよね!

 38億歳というのは、地球で「いのち」生命が誕生した歳なのです。地球は約46億年前に出来たと言われています。そんな前は、誰も見たことがないから、色々な科学的資料を参考に想像して決めたようです。だから、生物の誕生も、地球が出来てから8億年ぐらい後でないだろうかという話です。ですから、とてつもなく長い年月がかかっていると言う事だけ、知っていて下さい。

 一人の生きていける年数は、100歳前後です。でも、命はみんなつながっているということなのです。命のバトンタッチをして、皆さんがここに生きているということなのです。

 先日、アメリカのラスベガスで、銃の乱射事件がありました。鉄砲の弾が当たって多くの人が亡くなりました。一発の銃弾で、人は命を落としてしまうのです。亡くなるのです。簡単、命を奪うことが出来るのです。しかし、死んだ人を生き返らせることは、出来ないのです。一方通行なのです。死からよみがえることは、決して無いのです。(マンガや映画ではあるかもしれませんが)

 そして、人を簡単に作ることは出来ません。人間の遺伝子(人の設計図)みたいものがすべて分かっても、試験管の中に、人間の材料をかき混ぜたり、熱を加えたり、色々の刺激を与えても、人間を作ることは出来ないのです。

 人間が誕生する方法、それは、お父さんお母さんが結婚して、赤ちゃんを産むことしか無いのです。お父さんお母さんの前に、お爺ちゃんお婆ちゃんがいるのです。皆さんから見れば、お爺ちゃんお婆ちゃんですが、子と親の関係がずっと続いているのです。一回も途切れてはいないのです。一回でも途切れてしまうと、皆さんはこの世にはいないのです。その長さが。38億年、命の歴史なのです。無機物から有機物が出来た歴史がこの長さなのです。そして、人へと進化したのです。難しい話ですみません。人間の誕生でも約200万年前、道具を使う人間が誕生したのも5万年前だと言われています。そのような長い年月を経て、今皆さんがいるのです。自分一人だけの命ではないのです。みんなに願われて守り続けられて生まれた命なのです。どうか、「いのち」を大事にして下さい。そして人間に生まれた事を感謝できるような、生き方をして下さい。
 お寺さんのお話を終わります。有り難うございます。    (2017年10月6日)


2017年年頭挨拶


2017年(平成29年)が明けました。本年も、宜しくお願い致します。
 さて、今年は、酉年です。鳥と聞いて、思い出す鳥がいます。それは、共命鳥(ぐみょうちょう)と言ってお浄土にだけいる鳥です。この鳥は、頭が2つありますが、胴体は一つなのです。仏教説話には、以下の様な話が、あります。昔、お浄土以外にも、共命鳥がおりました。二つの頭は、よく言い争いをしました。一つの頭は、優秀で何でもこなすことが出来ました。
もう一つ頭は、優秀でなくいつも失敗ばかりをしていました。優秀な方の頭は、出来の悪い頭に向かって、「お前がいなければ、もっと良い生活ができるのに!」と常々言っておりました。出来の悪い頭は、ついに自分がいなければ、優秀な頭に迷惑をかけないですむと思い、毒を飲んで死のうとしました。すると、胴体が一つなのですから、優秀な頭の方も、どちらも死んでしまったのです。
 この話は、深い意味のある話です。地球という共通の一つの胴体に、数多くの頭という国が存在しています。何処の国が優秀で、何処の国が出来が悪い、貧乏だと言っても、所詮地球という胴体1つなのです。地球温暖化や地球の裏側での放射能漏れが、地球全体に影響を及ぼすのです。このような時代になってきているのです。共通の一つの地球という概念を大事にしてもらいたいと思います。  かつて共産主義の国々が、富の平等を謳い、土地や財産を国有化にしました。その結果、民衆は労働意欲が失い、生産力が落ちてしまいました。欲は人間について回ります。欲は働く原動力になっているのです。しかし、欲ばかりでも、問題があります。
 世界の風潮は、トランプ現象(国家の右傾化)と呼ばれるぐらい、自国だけ良ければそれで良いという、自己中心的な傾向が強くなってきています。
 「少欲知足」すくない欲で、満足を知る。真宗以外の仏教では、このような考えを推し進めています。しかし、これは簡単なようで難しいことです。欲深い人間であることを理解して、仏様と共に、相手の立場になって考え、思いやりをもって、今年一年、歩んでいきたいものです。 (2017年1月1日年頭の挨拶)




大谷幼稚園報恩講のお話(手を合わせることを忘れずに!)


みなさん、おはようございます。ようこそお参りに来て下さいました。今日は、報恩講といって「ありがとう」と感謝する日です。「ありがとう」と感謝することを教えてくれた方が、「親鸞」さまと言って、ここに絵でお姿が描かれて、お飾りしている方です。今からちょうど850年前に生きた方です。
みなさん、みなさんが大切にしている事は、何でしょうか?大切にしている事も、歳と共に変わってきます。みなさんなら、家族、お父さん、おかあさんかな?お金、ゲーム、携帯電話、健康など、これから色々大切なものが、増えてくることと思います。
親鸞さまは、「生まれた意義と、生きる喜びを見つけよう!」と教えてくれています。どうか、大きくなっても、何のために生まれてきたのか分からなくなった時には、仏様のお話を、聞いて欲しいと思います。仏様の教えは、生きていく上で、大切な事の一つなのです。忘れないで下さいね!
さて、みなさん、今年は4年に一度のオリンピックの年でした。みんなもテレビで日本人の活躍を見た人も多いと思います。オリンピックの年には、パラリンピックと言って、体に障害のある方のスポーツ大会もあります。日本人はメダルの数は多かったようでしたが、一番の金メダルは取れなかったと伝えられています。東京大会まで、金メダルをと言っていました。選手を強化する事は、悪い事ではありません。しかし、パラリンピックは、体に障害のある方のスポーツ大会なのです。世界は、色々な所で戦争しております。地雷で足がとばされた子ども、戦争で、体に障害をもった方がたくさんいるのです。毎年毎年、生まれつきではない障害者が生み出されているのです。戦争で障害を持った方が多くなって、パラリンピックで金メダルを取っても、それは、良いことのように思えません。金メダルが取れなくても、戦争で、死者や障害者を出さない世界の方が、大切な気がします。
中村久子さんという両手・両足のない方がおられました。私は、どうして仏様を拝む手がないのだろうと淋しく言っておられます。久子さんは、心の手で仏様を拝みました。
私たちは、幸いにも、仏様を拝む手をもっております。美しい姿です。1人では生きていない、みんなに支えられて生きていることを、拝む姿を通して教えてくださっているのです。
手をあわせる姿は、美しい姿です。昔、熊牧場に行ったことがあります。色々な熊がいましたが、えさをもらうとき、拝む熊が、一番もらいが多かったことを、覚えています。容貌で無く、その姿が美しいこともあるのです。
そして感謝し手を合わせる(合掌する)生活が、人を幸せにすることにもつながる事だと教えてくれました。いつまでも手を合わせる(合掌する)ことを忘れない生き方を歩んで下さい。英語に訳せば、サンキュウー・ブッダということでしょうか。
 これで、大願寺に住職のお話を終わります。最後まで静かに聞いてくれて有り難うございました。

(2016年10月6日、大願寺に、大谷大学附属幼稚園の報恩講のお参りで話すこと)



「家族が亡くなったらしなければならない手配と手続き」を出版して


2014年7月に、札幌市仏教連合会監修ということで、「坊さんがイチから教える葬儀・法要のマナーと心がまえ」という本を主婦の友社から出版してもらった。ペーパレスの時代と言われている中で、再版もして売れているという。
 そこで、主婦の友社から姉妹本を出して欲しいという要請を受けた。姉妹本と言うこともあって、上記の本が売れても売れなくても「札幌市仏教連合会」に迷惑をかけない条件で始めた故、姉妹本も残念ながら印税は入らない。
高校時代の友達と相談して「坊さんがイチから教える!」シリーズ第二弾「お墓と仏壇~選び方・建て方・祀り方」を2015年8月に出版した。この本は、すでに各寺院に所属している檀家や御門徒にはあまり魅力の感じない本であるが、何処にも所属していない中・高年層には、そこそこ売れたようである。
 売れると、出版社は、柳の下のドジョウを探すようである。「身近な人が亡くなった後の手続きのすべて」自由国民社から出ている本が、単行本ビジネス2015.6~12まで売り上げ1位になっているという。それに習った傾向の本を出したいとのこと。後出しジャンケンの性格もあるので、葬儀と法要、納骨について、少し詳しく書いて、出版したいという意向がきた。
シリーズ本から外れるので、今回は札幌市仏教連合会監修ではなく、北個人でお願いしたいということだ。印税がはいるのであれば、札仏連にもお伺いをたてなければいけないが、今回も主婦の友社の本。責任も出版社ということなので、札仏連の事務局長に相談して、個人の名前を使わせていただいた。
私も、参考に上記の本や、同類系の本を読ませていただいた。「身近な人、大切な人」とタイトルについているが、基本的には、いかに国にお金が取られないで、自分にお金を残すかに主眼が置かれている。葬儀・法要・納骨を通じて、亡き人に、今一度、あってもらうことが大切であると思えてきた。それがまさに、仏事を営むということになる気がする。仏事を営むことそれ自体が、一番大切な相続である。
 今回の本は売れるかどうか分からないが、家族が亡くなった時、お金の相続とは別に、仏法相続もあるのだよと分かってほしい。尚、一般の書店や、インターネットサイトでも取り扱っている

2016年年頭挨拶


2016年(平成28年)が明けました。本年も、宜しくお願い致します。さて、昨年を表す漢字一文字は「安」が選ばれました。安全保障関係の法案が成立された事、世界中安全が脅かされている時代に、「安心」「安全」を求める国民の声が反映されていると思います。
 昨年は、シリアでのISのテロのニュースが飛び交いました。日本人のジャーナリストも2名殺されました。シリアの有志連合の空爆、パリのテロ無差別乱射事件など、そして多くのシリア難民流出問題。人が死ぬ度に、その都度「報復」という言葉を耳にします。また、日本の犯罪で身内が殺された事件などは、犯人を死刑すべきだという声も上がります。「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典以来の報復論が、いまだに主流を占めています。しかし、亡くなった方は、その人を殺した犯人が、死刑になれば生き返るのでしょうか?残念ながら、亡くなった方は、決して生き返ることはありません。
「報復」は、負の連鎖がついて回ります。「復讐」「復讐」の連続です。このことを断ち切った大切な話があります。私たちの「浄土真宗」を弘めた方は、親鸞聖人です。その師匠が法然上人(源空上人)です。親鸞聖人は、「よき人の出遇い」ということで、法然上人に出遇われ、お念仏の教えに出遇ったことを終生、喜ばれました。この法然上人は、今の岡山県美作(みまさか)の武士の出であったと伝えられております。押領使であった父漆間時国(うるまときくに)が夜襲に遭い、勢至丸(法然上人の幼名)の目の前で殺されます。武士の世界では、仇討ちが当たり前の考えでありました。しかし、父は、「仇討ちをしないで、良き社会を築いて欲しい」と遺言されて亡くなりました。勢至丸は、その願いもと、出家して僧侶となり、お念仏の教えを弘めて下さいました。もし、父が仇討ちして欲しいと遺言していたならば、日本の浄土教団は存在しなかったかもしれません。「報復」と浄土真宗の教団とは、このように深い関わりがあると思います。  私たちは、仏教徒として、キリスト教社会、イスラム教社会とは、一線を隔て、「武力による平和」は有り得ないとの信念の下に、行動していかなければならないと思います。  どうか、お寺参りを忘れずに、聞法生活に勤しみましょう!世の中安穏なれ! (2016年1月1日)

世界の中の日本


9月17日、お彼岸の頃、日本では安保保障関係法案が参議院で可決された。集団的自衛権の問題も含めて色々問題がある法案が通過した。政府もこの法案通過によって、防衛装備庁(10月1日)の発足、そしてこの庁より武器輸出を充実させることを可能にした。また、南スーダンPKOに「駆けつけ警護」などを加える方針を次々と打ち出してきている。本当に目の離せない事である。
また、日本では、あまり大きく報道されていないが、世界ではシリアの難民問題が大変である。難民を出さない方法は、シリア国内の安定化が一番であるが、アサド政権をロシアが支援し、欧米が反体制派を支援している。そして過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭してきて、政局が安定する要素はまったく見られないのが現状だ。はっきりした人数は把握出来ていないようだが、今年だけで40万人以上の方が、ヨーロッパに殺到している。ハンガリーやクロアチアの国境では、警察官と衝突が続いている様子をテレビ等で放映していた。多くのシリア人は経済的な豊かな国、たとえばドイツ入りを希望しているらしい。その背景には、メルケル・トイツ首相が、難民の地位を保障する制度や支援態勢が整えているからだという。
日本は、難民受け入れ態勢は、どのようであろうか?9月24日の朝日新聞に、元国連難民高等弁務官緒方貞子氏が「難民受け入れ 積極的平和主義の一部」と題して、大いに受け入れるべきだと話している。しかし、現実は、約60名のシリア人が日本に難民申請をしたが、認定したのは、たった3名だけだった。緒方氏は失望している。
日本が、憲法9条があり、武力による世界貢献が難しいなら、このような難民受け入れることが、日本として必要なことのような気がする。日本は、シリアから遠いので、日本に来たいと思う人は多くない。しかし、距離だけでなく、日本が知られていない気もする。世界中、カメラ・電化製品・車・バイクなどの日本の製品は何処にでもある。しかし、日本自体は、日本人が思っているほど知られていない気がする。日本人自体が、島国根性で、自分の国のことしか考えていない感もあるからだ。
安部晋三首相は9月29日、訪問先のニュー-ヨークでの記者会見で、冒頭で「(国連総会の)今年の最大のテーマは難民問題だ」と強調している。その後、記者より「日本がシリア難民を受け入れる可能性を問われたとき「移民受け入れより女性、高齢者の活躍だ」と自国の問題を解決しなければならないと述べ、受け入れに消極的な姿勢だった。この安部首相の「ひと(他人)ごと」発言が問題にもなっているという。
私は、難民受け入れは、積極的平和主義として、実践していかなければならないと思う。
しかし、その前に、イスラム教の方と日本人が共に歩むために、日本人がきちっとした宗教的常識を形成しなくてはならないと思う。イスラム教徒に対する偏見、差別意識。日本人としての誇れる宗教心を持ち合わせているのか?まず、日本人が自分の宗教をきちんと確認して欲しい。そこから相手を認め合う世界を見つけたいと思う。日本の場合、日本人自身の宗教確認。宗教的免疫力をつける。これが大切である。難民の地位を保障する制度や支援態勢と平行に実施しなければならないことであるような気がしてならない。
日本はこれから生産者人口が激減していく。支援態勢が充実して、難民が日本語を覚え日本に永住する可能性だってありうる。世界の中の日本という視点が大切になってくると思う。
(2015年10月1日防衛整備庁発足の日に)


宗教に対する免疫力

みなさん、いかがお過ごしでしょうか? 今年は二月に入ってからは、たいした雪も降らず雪どけが進みました。段々、地球が温暖化しているという事でしょうか?雪が少ないのは有難い事ですが、手放しに喜べないのも事実です。

 さて今年に入ってから、日本から遠く離れた西南アジアのシリアの国で、日本人二名がイスラム国(IS)に、拉致され殺害されるという衝撃的なニュースがありました。イスラム過激派によるテロ事件は、このところ世界中で、毎日のように報道されています。治安の良い日本には関係ないように思われていましたが、イスラム過激派の人々は、日本人も標的にしていることが分かりました。今、色々な国々の人々が、日本を訪れます。日本への銃や、爆弾の持ち込みも厳しくしていますが、不可能な訳でもないようです。訪問者が、テロリストかそうでない人か、判別することは、大変難しいことです。また、日本人がイスラム過激派の思想に共鳴して、事件を起こすかもしれません。今後は、日本でも自爆テロが起きない保障は何処にもありません。大変な時代になってきたようです。

 ここで私たちは今一度、イスラム教などの外国の宗教を知っておくべき時代にきたような気が致します。 今の日本人は、無宗教で良いと言う人もいますが、世界情勢から考えても、宗教というものに対して、しっかりとした免疫力をつけておかなければならないと思います。

 世界の三大宗教
 世界には、色々な宗教があります。その中で、三大世界宗教と呼ばれているものが、あります。一番古いのが、仏教です。インドで紀元前六世紀、シャカ族のゴータマ・シッダールタが、仏陀となり人の生きる道を教えて下さりました。インドの差別制度カースト制度を否定し、平等を説きました。聖戦を認めず、不殺生を尊びました。

 次に起こったのは、ユダヤ教・キリスト教です。紀元前十六世紀パレスチナにセム語族の遊牧民ヘブライ人が定住するようになり、これがイスラエル人またはユダヤ人と呼ばれるようになりました。紀元前二世紀頃にエルサレムにヤーベの神殿を建て、種々の規則を定めて「聖書」を作りました。一神教、偶像崇拝の禁止、神の子(メシア・救世主)の出現、こうしてユダヤ教が生まれました。ユダヤ人だけが、神に、選ばれた民だとするのが、ユダヤ教です(選民意識)。これに対して、イエス・キリスト(紀元前四年)は、ユダヤ人だけでなく、すべての神を信じる人は、神の愛で救われると、説きました。奇跡を起こしたイエスをメシア(救世主)と信じました。しかし、反逆者として、十字架の刑に処せられたと伝えられています。その後、イエス復活信仰が生まれ、ペテロ、パウロなどの弟子によって福音書が作られ、新約聖書が編纂され、世界に広まっていきました。

 イスラム教
 最後の世界宗教が、イスラム教(ムスリム・モスレム)です。ユダヤ人と同じセム語族に属するアラビヤ人のマホメット(ムハンマド)が七世紀に現れました。キリスト教やユダヤ教に影響を受け、人格神への信仰をもとにして、アラーを唯一神とする信仰を説き、自らアラーの預言者であると説きました。部族や階級を認めず、人は平等であるということを強調しました。宗教上の改革だけでなく、政治や軍事にも関わって広まっていきました。イスラムとは、神への絶対的奉仕・服従の意味です。教えは、コーラン(クルアーン)の中にまとめられ経典となっています。神への絶対的な帰依が真の救いをもたらし、最後の審判によって楽園に入るとされています。また、神に対する殉教の徳が賛美され、信仰上の実践(信仰の告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)が強調されます。イスラム教は、仏教やキリスト教と異なり聖職を置かず、僧俗の差別がありません。そしてマホメット亡き後は、カリフ(宗教上の権威の他、政治上、軍事上の権威をもっていた)と呼ばれる人が、コーランの教えを忠実に守りながら周辺を征服していきました。(サラセン帝国が出来ました)

 シーア派とスンニー派
 第四代のカリフの時、紛争が起こり、アリーの血を引く者が、カリフにふさわしいと考えたのが「アリーの党派」、党派のことをシーアと言います。これが、イラン国に多いシーア派です。シリアの一部にもシーア派(アラウィ派)がいます。
 一方は、「血統にはこだわらずイスラム教の教えを守っていけばよい」いう考え方も生まれました。慣習を「スンナ」といいますので「スンナ派」(スンニ派)です。サウジアラビアなどイスラム教の八五%を占めています。この二つの派は、仲良くありません。
 このように、イスラム教は始まりから、聖戦を認め、テロを生む殉教の考え方があり、絶えず争ってきた歴史があるのです。八世紀にイスラム教徒がインドに進入してきた時、ことごとく仏教寺院を破壊しました。仏教僧侶は、もちろん殺されました。

 キリスト教やイスラム教は、起こりから似ています。最終の預言者が、イエス・キリストかマホメットということです。どちらも一神教であり、聖戦を認めます。十字軍の遠征など、長い歴史の中で闘ってきました。イスラエルの地は、ユダヤ教にとってもイスラム教にとっても聖地なので、いつも奪い合いの歴史でした。ですから、聖書やコーランに従って生きようとすればするほど、原理主義となり、一般社会とは相容れない生き方となるのです。イスラム教徒の中では、平等かもしれませんが、異教徒に対しては、容赦のない差別がありました。


 親鸞聖人の他の宗教に対しての考え方
 仏教の流れを汲んでいる真宗は、聖戦を認めていません。ですから、第二次世界大戦の時、大谷派が戦争に荷担した事に対して深い反省をしております。現在の集団的自衛権の問題においても、反対を表明しております。また、殺生の問題からも、死刑制度にも反対しております。親鸞聖人は自らの信心を「愚身の信心」とみています。自分の教えが、一番と言っておりません。この教えしか私には、ないといっているだけです。
他の宗教を、非難したり、けなしたりしていません。


 無信心と言えるのも仏教徒!
 昔からお寺参りすることは、良いこととされていました。忙しく、申し訳ない気持ちで「無信心で」と言い訳したものです。それは、上記にも書いたように、仏教は僧侶という聖職者を設けました。普段は、仏教徒らしくなくとも、葬儀・年忌法事には、坊さんを呼ぶ。困った時は、専門家というように教えに出遇う機会を作っているのです。分限化しているのです。坊さんは、檀家さん(ご門徒)の御布施で、しっかり仏教の教えを学ばせてもらいました。そして事ある時に、檀家さんに法を伝えるのです。無宗教と無信心は、異なります。寺院と共に生きる、成り立っていることは、理解して頂きたいものです。

(2015年3月21日お彼岸の寺報より)






 





仏法の話をしよう!

大願寺の住職をしていると、色々な地域の役職を頼まれることが多い。法務に支障をきたすので、多くの場合は鄭重にお断りしている。しかし、前住職がしていた公共的な役職などは、断りきれなかった。少年補導員、保護司、教誨師(札幌刑務所に行って、受刑者にお話をする仕事等)と、現在させてもらっている。これらの役職は、本来の業務に加えて、犯罪防止や青少年の健全育成にもかかわっている。
 9月5日(金)、依頼を受けて「北海道青少年育成大会」に参加した。大会のメインは、「少年の主張」全道大会であった。北海道を16の地域に分け、そこから選ばれた代表者が、社会に向けての意見、未来への希望などを発表してもらうものだ。
 16地区の代表者は、15名が女性、1名が男性。少年という言葉は、男女両方を指す言葉になっているが、「少年・少女の集い」と言うように、響きとしては、男の子をさすほうが多い言葉だ。今日、少年の主張全道大会は、圧倒的に女性が多い。これは、私の個人的感想だが、小学校・中学校の生徒を見ると、活発で行動力のあるのは、女性が多い。現在社会で、男女共同参画の問題が叫ばれているが、将来は心配ないような気がする。
 地域から選ばれた代表者の主張は、内容・発表の仕方が、どれも堂々として素晴らしく、甲乙つけがたいものであった。
 内容を分類してみるといくつかの傾向がある。Aグループ 発表者の家族との付き合い方について(年老いていく祖母、障害のある弟、母の病気、家族の中の自分の立場など) Bグループ 思いやり、言葉の大切さ、いじめからの解放を訴えるもの Cグループ 自分の将来の仕事を見据えた生き方 Dグループ 東日本大震災のボランティア活動を通じて感じたこと 等が多かった。中には、渡島地区代表のように、今年廃線となったJR木古内線に対する思いを語った主張もあった。
そのような主張の中で、「私たちが担う日本の未来と知る権利」のテーマのもと、若者は政治に関心を持たなければならないと主張する異質の発表がありました。他の発表は、自分が経験したことを中心に発表していたのに対して、ドイツのアドルフ・ヒットラーは、「青少年に政治は必要ない」の言葉から始まり、独裁政治は、民衆の無関心から始まった事を取り上げ、今日問題になっている集団的自衛権にも触れた。若者は、大いに目を開いて、マスコミなどの情報操作に惑わされない、正しく知る力を養いたいと訴えかけるものであった。昔の弁論大会のような主張であった。これを聞いていた保護司の仲間は、この発表に対して賛否両論の意見が出た。発表の仕方は、素晴らしい。しかし、経験談ではないこと、現代の政治の事にあまりにも触れすぎている点であった。公共の場所では、政治と宗教に触れてはならないと、先輩保護司が言っていた。私が審査員であるならば、最優秀賞は無理でも何らかの賞を差し上げたいと思った。
結果は、やはり選ばれなかった。なにか空しく思った。公共の場所では、政治や宗教の話は、激論になり人間関係をおかしくするから、しない方が良いかもしれない。しかし、政治も宗教も、人間の考え方・生き方を左右する大切な事である。何処かで、しっかり話合わなければならない。その場所は、家庭であると思う。また、心の通った仲間では、宗教の話もした方が良いと思う。これが親友であり法友だ。今の時代は、この事が、無いように思える。うわべだけの家族、仮面夫婦という言葉もある。心の通じ合わない家族、親子。宗教が語られない家族、友達は、寂しい。
(2014。9.20 少年の主張を聞いて)


友達と「お坊さんがイチから教える葬儀・法要のマナーと心がまえ」を出版して



昨年札幌市仏教連合会で「今、葬儀を考える」というパンフレットを制作しました。企画から完成まで一年間以上かかりました。
その中で、お坊さんが関わった「エンディングノート」を作りたいねという話がおこりました。高校時代の友達が、編集関係の仕事をしているので、
相談致しました。(葬儀のパンフレット作成にも監修していただいた)その友達が、東京の出版社にこの企画を相談したところ、出版してみたらという
承諾を頂いた。本の構成、執筆は、私の友達が中心になって行う。私は、札幌市仏教会の仲間に、各宗派ごと内容の監修を行ってもらう。その準備に
当たるというものだった。パンフレット制作に一年以上かかったのだから、本となると多くの日数を要するとたかをくくっていた。
しかし、友達から作成の行程表を頂いて見たならば、約半年で作成、出版するというのである。「びっくり」である。
友達は、昨年の12月に、ほぼ原稿を書き上げた。
それを、各宗派の僧侶に見てもらう。そして問題点をあげてもらい、編集、校正をする。おおくの僧侶がいるが、決められた出版日まで時間との勝負でもある。
執筆して下さっている友達の立場もある。なるべく迷惑をかけぬように、私が出来ることは、私なりに校正させて頂いた。
2014年3月に脱稿できた。プロが装丁している本である。垢抜けて、自分でもよく出来たと思っている。興味のある方は、是非呼んでみて欲しい。
定価:本体1200円(税込み1296円)
出版社 主婦の友社

無宗教の時代だからこそ
今、大谷派の僧侶の中でも、葬儀のあり方が問題になっている。急な死に対して、
遺族は何も分からない。必然と葬儀社に全てお任せをする。葬儀社が中心となって、
僧侶も決める。僧侶と葬儀社の癒着が、貨幣経済だけが中心となって決まる。
生活もかかっているので、軽率なことは言えない。しかし、「人の死」ということを、
目をそらさないで見て欲しい。普段からお坊さんとの
付き合いを考えてほしいものだ!
(2014年7月10日)


卒業式に参加して




今年は、二月にロシアでソチ冬季オリンピックが開催されました。毎日、日本人選手の活躍が報道され、熱い応援や多くの感動を頂きました。四十一歳のジャンプの葛西紀明選手は、海外からも「レジェンド」(伝説)の名前で親しまれていました。今まで長く現役を続けてきて、ようやく個人の銀メダルを取った事などが報じられました。「諦めなければ夢はかなう」成果をあげた多くの選手は同様な言葉を言っていました。  三月は、卒業式の季節でもあります。色々な関係で私も色々な卒業式に出させてもらいました。ある高校の生徒に向けた贐の言葉に、「諦めなければ・・・・」という言葉を引用して、努力して頑張って下さいと励ましの言葉がありました。  私は、何か変な気がしました。努力することも頑張ることも大切です。しかし、オリンピックでメダルをとれた方が、「諦めなければ・・・・」と言っていることを指導者や教育者が、言う事は、違う気がしました。  「努力しようとすることも才能である」という話を聞いたことがあります。勉強にしてもスポーツにしても能力や才能が関係してきます。能力や才能のある方が、頑張って頑張って、オリンピックでメダルを取ることが出来るのです。四年に一度ですから、ピークが合わなければ、能力があっても恵まれない人もいます。運・縁も関係してきます。みんながみんな努力して諦めなければ、得られるものではありません。  余命幾ばくもないと宣告されている方のお見舞いに行って、その方に「頑張って下さい」と言えるでしょうか?病気と闘って苦しんでいるのに、何を頑張ればよいのでしょうか?こんな時のお見舞いは、ただ顔を出す。今までの付き合いに感謝する。触れる事が出来るのであれば、手を握り合うことぐらいだと思います。(宗教的立場が同じであるならば、仏様の本願やお浄土のお話など、信心談義が出来ます。しかし、身内で無い場合は、宗教の話は避けた方が良いでしょう)   これと同じように、努力する才能の無い方に、頑張れといっても、何を頑張ってよいのか分からないこともあります。頑張っても頑張っても、縁や運がないことだってあります。一人ひとりが、「途中で諦めたら夢はかなわない」と思って、努力することは、大変すばらしいことだと思いますが、指導者・教育者から、上から目線で言われたくない言葉のような気がします。    北海道新聞の卓上四季の言葉  二月二十四日、ソチ・オリンピックが閉幕した日の北海道新聞の卓上四季に、「要職にある人に『巨人の星』のファンが多い企業は要注意」ということで、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんの面白い「仮説」を取り上げてありました。(世界と闘う『読書術』集英社新書0715C)私も、書店で買い求めて道新で取り上げた引用部分を探したが、見つからなかった。しかし、道新の卓上四季に書かれていることが、興味を引いたので紹介します。  『巨人の星』は言うまでもなく名作野球漫画。根性で困難を乗り越えるストーリーに筆者もかつて夢中になった。それが危ないという。〈会社が危機になったとき、思い込みと試練で物事を解決しようという人たち〉への警戒である。根性や努力で解決するのではなく、周囲の協力や助言。そして正確な情勢分析が大切なことを訴えてありました。   仏縁が深まる学校もある  受験生も一生懸命努力していると思います。努力できない能力の人もいます。同じ価値観だけで、人を見るのは問題がありすぎます。お釈迦様が、天上天下唯我独尊と言っているのは、お釈迦様が偉いということではなくて、一人ひとりかけがえのない人生がある。比べる必要のないすばらしい人生があることを私たちに教えて下さっているのです。受験が失敗して、自分の思っていた学校に入らなくても、その人が、ダメになったわけでもありません。色々な苦難を肥料にして、打たれ強い人生を歩んで頂きたいと、卒業式に参列して思いました。    大谷学園  学校の中に「大谷」という名が付く学校があります。真宗大谷派の関係学校です。そこでは、宗教の時間があり、学生や生徒に、親鸞聖人の教えを聞いてもらう授業があります。若い時代に、宗教のご縁を、頂くことは、限りない喜びでもあります。「大谷」の付く学校があるのは、若い人に、宗教のご縁が大切である表れでもあるのです。このような学校を、縁ある方に胸を張って、勧めて頂きたいと思います。 (ある高校の卒業式に参列して 2014.3.1)






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